市政の動き−コラム「展望台」
No.2031 〈2019-08-04〉 山本宣治「やません」の大きな愛
山本宣治「やません」の大きな愛
「やません」を知っているか? と元職場の大先輩から尋ねられ「そのような政治家を目指してほしい」と。
山本宣治は戦前、天皇が、立法・行政・司法、そして軍隊の統帥権など一切の権限を握って日本を支配していた時代。戦争反対・主権在民を主張し、庶民とともにたたかい、そのため1929年3月5日、右翼によって満39歳の若さで刺殺されました。
ご存知の方も多いと思いますが「山宣」は、生物学者であり、生物学を通じて、戦争のない社会・人間が人間らしく生きられる自由な社会を建設することにつながる、と産児制限運動や労働者教育に熱心に取り組みます。
しかし日本政府は、安い労働力と戦争に必要な兵員を確保するため、国民に「生めよ、殖やせよ」と子づくりを奨励していました。他方、治安維持法の死刑法へ改悪を進めていました。
その中で「山宣」は、28年2月の第1回普通選挙で、警察の妨害や弾圧の中で見事に当選を果たしました。
天下の悪法・治安維持法に反対し唯一国会でも最後まで意思を曲げずにたたかい抜きました。しかし、その期中に暗殺。その後、極悪非道の治安維持法が可決されてしまいました。
共産党弾圧事件(29年4月)、小林多喜二虐殺(33年2月)。太平洋戦争に突入(41年12月)。アジアの人びと2000万人、日本国民310万人の尊い命を奪いました。
党は8日、創立記念講演会を開催します。先人の志に想いを馳せて、みなさんとともにたたかい、より学んでゆきたいと思います。社会的な弱者への大きな愛を「山宣」に感じました。