市政の動き−コラム「展望台」
No.1912 〈2017-03-05〉 山本宣治、小林多喜二と山本懸蔵
山本宣治、小林多喜二と山本懸蔵
1924(大正13)年3月5日、左翼系無産政党の労働農民党の山本宣治代議士は「治安維持法」案に反対すうるなど孤軍奮闘していたなか、宿泊中の東京神田の旅館で七生義団と名乗る男に刺殺されました。
墓には演説の一節「山宣ひとり孤独を守る だが私は淋しくない 背後には大衆が 支持しているから」が刻印。25年希代の悪法「治安維持法」とともに「普通選挙法」が成立。
日本共産党の再組織中の最初の全国闘争は28年2月、普通選挙法の最初の総選挙。党は、非合法にされているもとで、党員11人が労働農民党から立候補してたたかいました。
小林多喜二は、共産党員の山本懸蔵(北海道1区)候補のたたかいと自らの応援ぶりを小説『東倶知安行』に生きいきと描写。小説で懸蔵は島田正策「島正」で頼もしく登場。自身は『北海道血戦い記』を雑誌『改造』(28年4月号)に発表しました。
その一節は、次の通りです。
雪の野、北海道の天地と、馬橇は、トロイカは走る。――勇を鼓して、雪の北海道に進んだが、一月二十日までねていた病後のからだ――俺はからだが、かなり無理だ。歩行困難だ。馬橇が実に身にこたえる。
だが、労働者として生まれ、労働者として育ったわれは、病気や畳の上で死にたくない。――労働者、農民、無産階級の要望の下に吹雪と氷の中でたたかって死ぬことこそ、われらの本望である。――俺は、からだの続く限りたたかう。
雪のたたかいは――だが、実に愉快だ
ともに総選挙でがんばりましょう。