市政の動き−コラム「展望台」

No.1860 〈2016-02-21〉 石川啄木と小林多喜二

石川啄木と小林多喜二

 130年前の1886年2月20日は歌集『一握の砂』『悲しき玩具』などの石川啄木が生まれた日。詩人・歌人・評論家として、貧苦のなかでの波乱に満ちた生涯だった、といわれています。26歳の若さでした。

 プロレタリア作家『一九二八年三月一五日』『蟹工船』『党生活者』などの小林多喜二は、83年前の33年2月20日に虐殺されました。同日築地署の特高課員に逮捕され、数時間後、同署内で残忍を極めた拷問による死で、わずか29歳の生涯でした。

24年1月の中国では、国民党と共産党の合作が成立し、26年7月から2年間、中国統一のための北伐が進みます。北伐が「満州」に及ぶことを恐れ、日本の関東軍は中国東北地方の軍閥の張作霖を爆死させました。

 資本主義世界は29年秋、アメリカに起こった恐慌が各国に波及し、未曽有の世界的な大恐慌にみまわれました。大量の失業や実質賃金の低下の中で、生活の向上を求めるたたかいと運動が各国に広がっていました。

 関東軍は31年9月18日、柳条湖の鉄道爆破の謀略事件を仕立て上げ、天皇制政府は、これを「満州事変」と称し、中国の東北地方に対する侵略戦争を開始しました。小林多喜二虐殺事件へつながっていきます。

 安倍自公政権は、秘密保護法、消費税増税、原発再稼働、非正規労働、実質賃金引下げ、福祉切捨て、辺野古新基地建設などで、またぞろ戦争に引き込もうと画策しています。
 刈谷でも、戦争への暴政は、絶対に許しておくわけにはゆきません。

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