市政の動き−コラム「展望台」

No.1614 癒えぬ戦争の傷跡

核戦争のない平和な世界の実現を

 93歳の夫を看取り、見送った市民に出会いました。風の便りで入院したと知り、見舞いができたらと思っていた矢先きでした。
 「家族葬で行ったから」と多くの人に知らせることなく見送ったそうです。そこには、本人の意思がありました。

 軍人だった夫は、戦争で部下や同僚をたくさん亡くしていることから「畳の上で死ぬのは申し訳ない」と言い残していたと話してくれました。

 戦後66年の今日まで、戦争の痛みを抱えながら生きてきたという思いに触れて胸にずきんときました。

 日本人310万人、アジア諸国民2000万人ともいわれると尊い命を奪った第二次世界大戦反省の上にたって、新しい憲法ができました。憲法には「戦争放棄」の条項が明記され、二度と戦争をしないことを日本は世界に約束したのです。

 戦争終結から9年目、アメリカはマーシャル諸島ビキニ環礁で水爆実験を行い、漁に出ていた第五福竜丸等の日本の漁船が被爆しました。被爆した久保山愛吉さんは「被爆者は私を最後にしてほしい」と非核の実現を願い息を引き取りました。

 戦争が終わって、平和憲法ができた時代に被爆した第五福竜丸の乗組員の生存者は、学校などでビキニ事件の語り部となって核廃絶にがんばっていることが、静岡市で開催の3・1ビキニデー全国集会で紹介されました。

 どれだけ時を重ねてもぬぐうことのできない戦争の悲惨さを背負って生きてきた人たちがいることを忘れず、核も基地もない平和な世界の実現に歩み続けたいと思います。

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