市政の動き−コラム「展望台」
No.1579 プロ野球界刷新へ
労働組合プロ野球選手会の事務局長である松原徹さんの講演を聴く機会がありました。労組として発足したのが1986年で、初代会長になったのは巨人の中畑清選手、大変な勇気が必要だったようです。
当時、親会社にも労組がなかったのがヤクルトと西武、「野球選手が組合かよ」という言われ方をして、ヤクルト選手会は、一時期労組を脱退しました。ヤクルト対巨人戦で攻撃中のヤクルトの選手が一塁に出塁すると、中畑一塁手から「労組に戻ってほしい」と必死の訴えをされて、それがプレッシャになるので、アウトになってもいいから、すぐに二塁に走ってしまったとのこと。
その後、ヤクルトのエース尾花投手が全選手に訴えたりして、めでたく労組に復帰しました。
一番大変だったのは、2004年6月に近鉄とオリックスの合併が伝えられ、セパ計12球団が10球団程度に縮小されようとした時です。近鉄の磯部選手会長が松原事務局長に電話してきて「俺たちはいずれユニホームを脱ぐ覚悟をしているけど、裏方さんはどうなるんだ」と悲痛な訴え。各球団とも、スカウト、トレーナ、スコアラなど50名ほどの裏方さんを抱えており、みんな路頭に迷ってしまうからです。
選手会が12球団維持を求めたのに対し、球団側は受け入れず、やむなく史上初のストライキを決行。選手会の予想以上にファンも監督も審判も彼らを支え、世論の大きな支持もあって、とうとう12球団が維持された、との感動的な話でした。この日の集会のキーワードは「つながれば、変えられる」でした。