活動日誌−思いつくままに

【10.07.10】 野村武文議員が無事退院

軽い脳梗塞で入院、後遺症もなく退院

 私、野村武文は、6月30日午前7時30分ころ「あれ、おかしいな」と思い、ボールペンがもてないなど、手足の右半身が動かないことに気づきました。
 妻・則世は、たまたま出勤前でしたので、休暇の連絡をし、即、電話で病院に診察予約をとりました。武文は、40分経過したころから、だいぶ軽い感触になり、議会など関係先に連絡をとり、則世の運転で、南生協病院(名古屋市緑区大高町)にかけつけました。
 先生の初診で、武文の表情、言動やこれまでの経過などから「軽い脳梗塞」と判断し、「最低1週間の入院」と言い渡し、必要な段取りをとってくれました。
 一方順次、武文の血液検査、CTやMRIをとり、病室が確保され、症状は、若干の変化があるものの落ち着いていました。しかし「入院申込書」の所定欄に本人署名をすることになり、名前をボールペンで書いたもののミミズがはったような字形でしたので、自分でもびっくりしましたが、則世は、これを見ていて「もうダメかな」とおもったそうです。
 病室で、血液サラサラなど2種類2時間半の点滴をはじめたら、「発症前とまったくかわらない」状況になりました。発症から点滴までには、3時間半ほどの経過がありました。その後、8日間、同じ点滴を1日2回午前午後あいだを4時間おいておこないました。先生の指示により、毎日2〜4リットルの水分をとっています。
 この病院は、武文が糖尿病で通院していますので、それとの関連もあり、毎日3食の食事は「糖尿D」という種類でした。糖尿病は、ヘモグロビン数値が6.4でした。それから、家庭などの毎日の食事に気をつけ、3ヶ月前には6.0となっており、日常の生活に少し「歩く」を意識していたところです。この入院中の検査では5.9にさがっていましたので、正常値の5.8以下をめざし、こころがけています。
 その後の経過も順調で、右半身の動き、言語発声など、発症前とかわりません。入院期間中にたずねてくれた人たちも、そのようにいってくれています。
 退院にあたって、いくつかのチェック検査をしてもらいましたが、いずれも良好ということで、7月10日土曜日に無事に病院を去ることができました。
 診断書には、「その後も約2週間の自宅安静加療を要す」とされており、いま自宅療養に入っています。病院では、温度、湿気、生活時間などの適正管理のなかにあったせいか、拙宅では、身体がだるいなど、まだ実生活に慣れていないようです。気を付けながらも、早く実生活をとりもどしたいとおもっています。
 それにしても、参議院選挙の大事な時期に発症、療養ということで、たいへんご迷惑をおかけしています。11日日曜日には、もとむら伸子候補、八田ひろ子元・参院議員から、お見舞いの電話をいただきました。日本共産党の躍進を期待しつつ、関係のみなさん各位にお礼と感謝を申し上げ、近況の報告とさせていただきます。
 
 
 

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